ぼくのはなし

この記事は、mast Advent Calendar 2019 の15日目の記事です。 14日目はoculosazuisさんの記事「情報を考える」でした。

こんにちは、mast19のつのだと申します。
よろしくおねがいします。

ポエムを書くことに、少々恥ずかしさを感じるのですが、mast19 Advent Calendar 2019の方で、TKMくんに、しょうもねえポエムを書いちゃダメだなんて、誰が決めたっていうのさ、と言われたので、恥じらわずに書いていきます。

受験のお話

どうでもいい、僕の一年間のお話です。長いです。

僕はもともと筑波大学を受けるつもりではなかった。まあ、ありがちな話。でも、今こうして筑波大学にきて、おかげさまで、それなりに楽しい日々を過ごしている。それは良い良くないの話ではなく、何らかの理由、縁があって、こうなったのだからここで頑張っていくだけという話だと思っている。 まあ、その何らかの理由、縁というのはまた、ありがちな受験で精神を病んだという話である。
受験が終わってから、自分になにがあったのかをまとめよう、記録に残しておこうと思っていたが、今の今までずっと放置していた。今更受験を振り返ったところで感はあるし、いつまで受験の話するんだよと思うが、自分を知るためにも、時間がたった今だから分かることもあると思うので、まとめてみる。

僕は受験勉強を始めるのが比較的早かったと思う。高2の秋くらいには、結構意識が高くなっていた。当時テニス部の僕は、テニスは好きで楽しかったけど、テニスをやったところで結局楽しいだけだな、勉強したほうがレベルの高い大学に行けるし、自分のためになるな、みたいな事を考え、(いや、考えてなんかない。そんな気がしただけ)勉強に力を入れるようになっていった。
もともと僕は、そんなに勉強をすることが得意ではなかったので(勉強自体は苦手ではなかった)、記録をつけるなどして、頑張って勉強を習慣にしていった。今は、その記録を見ながら、これを書いている。
手を抜いて部活をやっていたわけではないが、3月くらいに、部活をもっと頑張りたい、大会で勝ちを狙っていきたいって思っていた部長と対立して、結構な事件が起きたりもした。(当時の記録を見ると、散々なことが書いてあり、結構辛かったことが伺える)
そんなこんなで、まあなんとか最後の大会までやりきって、5月頃に部活を引退。以降勉強漬けの日々が始まる。
夏休みなんかは毎日コンスタントに10時間(机に向かってる時間とかではなく、実質的な勉強時間)勉強するくらい、真面目に勉強に打ち込んでいた。
わからないことがわかるようになることはおもしろく、勉強も楽しくはあったが、秋ぐらいから勉強のペースが落ちていった。勉強に集中しようと思っても、なんとなく集中できない。そんな日が、日に日に増えていった。こんなんじゃだめだって思って、勉強の記録をつけて、自分を管理したり、思っていることを、紙や、はてブロに書いたりして、ストレスを発散させて、なんとか自分を勉強させようと頑張った。結局夏休みほどの集中力とやる気は取り戻せなかったが、秋の大学別模試で一位を取れた。(第2志望ところではあったけど)
そのことはもちろん嬉しかったのだが、僕はここで受験勉強をする意味がわからなくなった。学力的にはその大学を合格することができるのに、なぜあと3ヶ月も受験勉強をしなければならないのか。そう思ってから、受験勉強の意義というものを色々と考え始めた。(正しいか正しくないかはわからない。でも、当時の自分はそう考えた。)センター対策などもある程度までは全然学力向上に役立つと思うが、いきすぎたセンター対策は、センター試験のための勉強でしかなく、その事によって得られるものは点数が9割、自分の能力向上に1割で、自分にとってはあまりためにならないのではないかみたいな。(受験勉強ってそういうものなのかもしれないが) なんのために勉強しているのかわからなくなった。
以降本当に勉強をすることができなくなった。模試の件があったからというよりは、それまでに積もっていた、いまいち勉強に集中できないなーというものがそこで爆発した感じだ。
勉強をしようと思って机に向かい、問題集を開き、ペンを持っても、内容が頭に入ってこない。文字を読もうとしても、読めているはずなのに意味が入ってこない。意味が理解できて、いざ考えようと思っても、考えることが出来ない。
自分なんてクソだなと自己嫌悪したり、もはや自分が受験勉強を出来ないことをわりきって、他の有意義なことをすべきだと考え、本を読むだとか、プログラミングの勉強をしてみるだとか、映画を見るだとかなどのことをしたりしていた。まあでも、周りが受験一色の中、集団から浮きたくないという考えを持っていた僕は、そうすることができるはずもなく、自己嫌悪感に苛まれながら、結局ダラダラとした日々を過ごした。
冬休みまでは、学校に行き、強制的に授業を受け、また友達と話すなどしていたため、そこまで精神を病んではいなかった。冬休みに入ったあたりから、本格的に辛くなってきた。色々と無理になって、それまでは僕が勉強できないのは、受験勉強に意味が…みたいなことを考えていたりしたが、そういったことを考えるのも無理になって、というか考えるということが無理になって、勉強できないなら他の有意義なことをしようとかいうのもめんどうになって…。ひたすら、塾のブース型の自習室の端っこの席で寝たり、自転車で、あてもなく街をさまよってみたりした。
幸か不幸か、1月2日くらいにインフルエンザにかかった。まあ、マスクもせずに、適当に人混みに紛れていたりしたから当然なのだが。久しぶりのインフル、久しぶりの熱で、結構辛かったが、合法的に家で寝ていられる理由ができて、むしろうれしかった。また熱にうなされて、脳が働かない状態というのは、精神的につらくなくて、ぼーっと、頭いてーなって思ってるだけで良かったので、とても楽だった。ずっとインフルでいいのに。なんて思っていたのに、2日とかで治ってしまった。でも、冬休み始まるまでは、家で安静にしているだけで良かったので、センターまであと2週間ないなーなんて思いながら、ずっと寝ていた。
冬休みが明け、学校が始まる。友達にお前冬休みの間、塾こないで、なにしとったん?って言われるのが嫌で、学校に行きたくなかったけど、学校に行かない理由を親になんて言えばいいのかわからなかったから、無心で登校した。先の言葉に対しては、てきとーにインフルにかかっちゃってさー、あははみたいな感じでかわし、何事もなかったかのようにふるまい、学校の授業も全然集中できてなかったけど、何事もないかのように、授業受けてる感を出しながら、ぼーっとしてすごした。
そんなこんなでセンター試験を受けた。いい結果が出ないことはわかりきっていたから、今の僕なりに頑張ってみよう。点数取れたらラッキーだなみたいな心持ちで受けた。その日は不思議と集中できた。緊張もあまりしなかった。(そりゃそうか笑)
いい忘れていたが、その頃には志望をメ創にしていた。もとの志望先を受けるにはあまりに学力が下がっていたし、再び学力をあげるやる気もなかった。メ創に決めた理由は色々あるが、単純に情報系に興味があったから。メディア創成という響きがなんかかっこよかったから。二次試験が数学と英語の2科目で行けるから、勉強しなくても受かる可能性としては高い(こういう言い方良くないですよね。ごめんなさい)。みたいな理由だ。単純な動機っぽいが、勉強してなくて暇だったので、どういう研究室があって、どういう研究をしているのかとかを、他の大学、他の学類とか結構調べた上での自分的には結構納得した結論だった。
しかし、メ創に合格するのはもちろんそんなに簡単なことではなく、2019年度は、偏差値が旧帝大なみに高く、センターリサーチの結果は、Dだった。
このままでは、どうせ不合格だろうな。どうせなら、ここで心機一転して、勉強して、合格したいな。そう思って、久しぶりに勉強しようという気になった。
でも勉強はやっぱりできなかった。結局文字の意味が頭に入ってこないかった。文がちょっと長くなると、最後まで読むことが出来なかった。(あくまで、問題文とかが読めないだけであって、Webメディアの記事とかは読めた)
当時は、なんで自分が勉強できなくなってしまったのかわからなかった。自分の意志が弱いとか、受験なんて意味がないからやる気が出ないだけだとか、いろいろ考えてはみたが、そういうことを考えるほど、考えるのが嫌になっていったので、結局考えられていなかった。今になって考えてみると、からだが、こころがだめになってしまったからかなと思う。毎日同じことの繰り返し、つまらない日々、合否への不安、周りの期待と、周りへの気遣い、休みがない、勉強するしないは自分の責任で、結果は自分が負う。みたいなストレスがじわりじわりと僕を蝕んでいったのだと思う。

結局、僕は今こうして情報メディア創成学類で勉強をしている。なんで合格できたのだろうと考えると、一つは、筑波大の問題が、基礎的な内容が多く、自分が駄目になる前にしっかりと基礎を固めておいたから、もう一つは、たまたま問題と自分の相性が良かったからなのかと思う。
以上のような経緯で筑波大、メ創にきたわけだが、最初にも言ったとおり、こうなったことは良い良くないの問題ではないと思っている。いや、むしろ筑波での人や物、事の出会いというのは、ここにこなければなかったので、良かったのかもしれない。(他のところに行けば、また他の出会いが、と考えることもできるが、あくまでそれは仮定の話でしかない)なんだかんだあって、結局合格できたから言えていることなのかもしれないが、こうなったのだから、ここで頑張るだけである。
だから、こんなに長文書いておいてあれだが、過去の自分のこの話は、本当はどうだっていいのだ。いや、もちろん過去から学ぶこともあるだろうが、うだうだなにか言ってないで、何かに取り組んで、その成果を、アウトプットを出していくほうが大事だと思う。
入学してから、今まで、なんとなく大学生活を送ってきたが、8ヶ月も経ち、最近は大学生活の、比較的自由な時間の重要性を理解し始めた。色々あるかもだけど、頑張っていきたいなーと思う。

余談

初めてこんなに長文を書いた。
良い良くないはわからないが、過去の自分のこういった経験が今の僕を作ってるのかなーって思った。
散々書いておいて、言うのもあれだが、書いているときに、いったいこれは誰のための記事なのかなと思った。完全に自分のためだったら、推敲とかせずにもっと汚く書けばいいし、アドカレの枠を一つとって、書く必要もない。また、自分のためではなかったら、他の人にとってはどうでもいいことを書いている気がする。
なんで書いているんだろう。よくわからない。でも、僕は全く知らない赤の他人が書いた文章を読むのが好きだったりするし、知っている人が書いた文章なら、この人ってこんなこと考えるんだ。喋った感じだと、ふざけたキャラなのに、実はこういう一面もあるんだみたいなことを知れるのが好きだったりする。
そういうことなのかな。

余談ではないかもしれないが、不合格だったら、今ごろ自分はどうなっているのだろうと考えると結構怖かったりする。今の自分って、結構絶妙なバランスの上に成り立っているのかもな、なんて思ったりもする。

特に本文で触れなかったけど、僕は受験生時代、誰かに相談するということが出来なかった。無駄にプライドが高かった。また、症状が悪化するほど、周りが見えなくなっていって、相談するという選択肢が見えなくなっていたのかもしれない。教訓を出すなら、早めに誰かに相談すべきってことと、周りでこいつちょっとやばそうだなって人がいれば、こちら側から手を差し伸べるってことかな。

受験で病んだ話って、ちょいちょい聞くし、他のアドカレでも結構見かけたから、あんまり自分だけがっていう話ではないんだなって思った。

今は時間を比較的自由に使えてるから、病むことはないと思うけど、将来職について、時間を自由に使えなくなって、毎日同じようなことをするような暮らしになったとしたら、また俺は受験生時代と同じような感じになるのかなっていう不安があったりする。

今回こうやって、文章を書いたわけだけど、まあそんなに特別なことではなくて、こういうことって表現の仕方が違うだけで、みんな誰かに言ったり、または歌にするなどして、表現してることなんだよね。

こうやって振り返ってみて、自分がこんな数ヶ月を送っていたんだということに驚いた。自分にこういう時期があるということは知ってはいたけど、あまり考えないようにしていたところがあるから、約一年たった今、この過去に向き合って、そして、こうやって書き、公表し、自分の外に出せたことで、昇華させることができたから、うれしいというか、自分に溜まっていたタスクが一つ減った感じ。

なんで今までちゃんと人にこの事を話してなかったのかっていうのがあるけど、自分で消化できてなくて、自分の中でまとまってなかったから、ちゃんと誤解なく人に伝えることが出来なかったからかな。


以上。 読みにくい文章でしたが、もし最後まで読んでくれた方がいましたら、ありがとうございます。

明日、というか僕が遅れているので、今日はmast19の友人のYamauraくんの記事です。 お楽しみに。